ユーロ圏は泥沼に陥っている

Advertisements

Advertisements

数年前、ヨーロッパに突き刺さっていた大きな問題はPIGS、もしくはPI(I)GSであった。ユーロ・システムのもとで生じたブームがバブルへと突き進むなか、リーマン・ショックで急転直下、バブルが崩壊することで生じた問題である。メンバー国PIIGSは金融政策、為替政策をもっておらず、加えて財政危機に対処するため緊縮財政をとっているため、不況からの脱出策をまったく有していない。そして緊急融資を受けるなか、さらなる超緊縮財政をとることを「トロイカ」(EC、ECB、IMF)に要請されてきた。この結果、ユーロ圏の多くの国はデフレ・スパイラルのワナにはまったままである。 

ここでは、ヨーロッパが陥ってきたユーロ危機について、立ち止まって考えてみることにしたい。

最初に経済的問題を、2つの視点からみる。次に、政策的問題を検討する。そのうえで、現在の経済状況をみたうえで、政治的問題をみることにする。いまや事態は経済問題だけに収まってはおらず、政治的・社会的変動がEUを襲っているのである。

1. 経済的問題

1.1 ヴィクセルの累積過程・円キャリー・金融のグローバリゼーション

1999年1月から部分的に採用されたユーロは2002年1月になると本格的にメンバー国で使用されるようになった。この当時、アイルランドは「ケルティック・タイガー」と呼ばれ、その経済成長は奇跡的なものとして賞賛された。きわめて低い法人税率は多数の外国企業の誘致をもたらし、それが経済成長を引き起こしたのである。スペインも経済は好調で、多数の移民が流入してきており、それらが住宅市場や不動産市場に活気をもたらしていた。ギリシアでもアテネ・オリンピック(2004年)を迎え、建設を中心に経済は好調であった。つまり、いま窮状を訴え、苦しんでいる国は、2000年頃、ユーロとは無関係に好調な経済状況にあったのである。

他方、ドイツ経済は不振であった。ドイツは90年代、東西ドイツの統一により、東ドイツという重荷を背負うことになり、失業問題は慢性的に高率であった。

さて、こうした状況下でユーロが実施に移された。1998年に創立したECBはドイツ連銀の強い影響下におかれ、その政策目標も物価の安定におかれており、景気対策はその仕事とはされなかった。また為替についてもそこへの介入はしない方針を採用していた(実際にはしているが)。物価の安定のため、重視したのはマネー・サプライM3ならびに政策金利(ルポ)の設定である。

ECBは政策金利を2002-2006年の長期にわたって2%という低金利に抑えた。これは低迷するドイツ経済を配慮してのことだとされる。このことが、すでに好調な経済状況にあったユーロ圏のいくつか(アイルランド、スペイン、ギリシア、ポルトガルなど)およびEU国のいくつか(ラトビア、リトアニア、エストニア、ハンガリーなど)で、実質金利 [ = 利子率 – インフレ率 ]がマイナスとなり、資金を借りるだけで儲けが生まれる土壌が発生した。そしてその資金は、典型的には不動産市場に注がれることになり、経済のバブル化が加速度的に進行することになった。とりわけ、スペインやアイルランドでそれは顕著であった。

1990年代に入ったEU経済のパフォーマンスは、よかったわけではない。むしろ停滞していたというべきである。ところがユーロの誕生によって、ユーロ圏の金融政策はECB(ヨーロッパ中央銀行)によって担われることになった。ECBはドイツの金融政策の方針を継承しており、インフレの抑制を唯一絶対の責務としていたが、初期のECBの利子率は低く、ユーロ圏に入った国のなかには、それまで高率の利子率、高率のインフレ率を経験していたから、ユーロの採用によって、上記の国のように、実質利子率が一挙にマイナスになる国が現れた。このため、資金を借り入れることが非常に有利となる状況が現出したのである。

これらのユーロ建て貸付は、各国政府の場合は国債、民間企業や個人の場合は債券やローンとしてなされた。この貸付の先頭に立ったのは、ドイツ、フランスなどの大銀行(そこにイギリスの銀行も加わる)であった(図1を参照)。つまり、ユーロ圏内のいくつかの国、ならびにEU圏内のいくつかの国にあって生じた景気の拡大、そしてバブル経済への突入に当たり、その先陣を切っていたのはEU有力国の大銀行である。

さらに問題なのは、ドイツ、フランスは自国の銀行がこうした貸付行動に走るのをなすがままに許したこと、そしてPI[I]GS (ポルトガル、アイルランド、イタリア、ギリシア、スペイン)の諸政府がルーズな財政政策をとっていることにたいし、知って知らぬふりをしていたということである。

そればかりではない。マーストリヒト条約で決めた「安定・成長協定」(財政赤字/ GDP比を3%以下、国債残高/GDPを60%以下にするというルール」)を率先して破ったのは、他ならぬこれらドイツ、フランスなどであったという事実がある。現在、これらの国はそうした過去の自らの行為に目をつぶり、PI[I]GSなどの不行跡を責める感がある。

1992年のユーロの誕生は、ユーロ圏 ― そしてEU圏 - に、上記のような状況を引き起こしていた。これが、リーマン・ショックの衝撃波で、若干のタイム・ラグを経て破壊的影響力を及ぼすことになったのである。 

このような事態は、ヴィクセル的な (上方への) 累積過程の発生と表現することも可能であろう。つまり、低い金利で借り入れて、高めの物価で販売するという行動が累積的に上昇していくという事態の出現である。このことが、ユーロ圏の広い範囲にわたりバブル現象を引き起こす誘引になったといえる。

さて、2002-2006年というのは、アメリカで景気が拡大した時期である (イギリスもそうである)。Fedによる低金利政策は住宅市場を活性化させ、アメリカは消費の拡大にも促進されて経済的繁栄を謳歌した。この過程をさらに促進したのが、「円キャリー」であった。ゼロ金利で借りた円がドルに換えられたうえでアメリカに持ち帰り、高収益をあげる業種に投入されたのである。同様の行為がスペイン、アイルランドにおいてもなされたことは容易に想像がつく。

ECBの低金利政策、円キャリーをあげたが、もう1つ重要なのは「金融のグローバリゼーション」が完成状態に至っていたことである。1999年にはグラム=リーチ=ブライリー法が成立しており、金融機関がグローバルにあらゆる投資・投機の機会をつかまえて、しかも誰からも監視を受けることなく行動できる自由 - 金融の自由化は金融機関の横暴を許容するまでの自由化であった - のもと、SBSは拡大の一途をみせ、さらには証券化商品が乱発されるような状態になっていた (こうしたことは、ギリシアがユーロに加盟するさいにゴールドマンサックスが謀略を図ったという一例を思い出すことで、臨場感が出るというものである)。

以上をまとめると、すでに好調であったスペインやアイルランド経済は、ECBの低金利政策、円キャリー、金融のグローバリゼーションにより、バブル状態に到達してしまったということである。この点ではアメリカ経済と酷似した状況にあったのである。そしてリーマン・ショックにより、メルトダウンを引き起こしたのも、同様であった。

1.2実体経済の格差問題

ユーロ圏にいるというのはどういう意味があるのかを考えてみよう。まず何よりも、域内取引はユーロでなされるから為替問題は存在しない。ドイツからギリシアに大量の乗用車が販売されている。これはドイツからみると、「輸出」であり、ギリシアからみると「輸入」である。いうまでもないが、国際収支の計算は、独立国の他国との取引関係を記すものである。ドイツは世界第2位の輸出国であるが、その内訳はユーロ圏内、EU圏内、そしてその他、によって構成されている。しかし、「EU圏内」および「その他」との関係では為替変動が生じているが、「ユーロ圏内」との取引ではこの問題が存在しない。

だが、ユーロ圏全体でみると、こうした域内取引はつねに国際収支上ゼロである。ドイツからギリシアに乗用車が売られても、ユーロ圏でみるとそれは域内取引であり、ユーロの為替相場に影響を与えることはない。

ユーロ圏にとっての国際収支への影響は、域外の国との取引によって生じる。かりに域外取引で、ドイツが100億ドルの黒字、ギリシアが30億の赤字だとする(他のメンバー国は全部合わせてゼロとする)。このとき、ユーロ圏全体では70億ドルの黒字となる。これがECBの取り仕切るユーロの為替レートに影響を与える部分である。ユーロの対ドル・レートを決めるのは、ユーロ圏全体の国際収支の状況であって、個々のメンバー国の国際収支ではない。

次に問題になるのは、ユーロ圏の国際収支問題において、ドイツが圧倒的な寄与率を有するから、ユーロのレートはドイツの経済情勢によって決定されることになり、周辺国ギリシアはほとんど影響力をもたない。この場合、ギリシアからみればユーロは高めに推移することになるから、輸出の増大は望めないということになる。

他方、メンバー国は財政的な独立性を有している。だがそれを自由にしてしまうと、ユーロ全体の秩序を乱すことになるので、「安定合意」という紳士協定が策定されたのである。だが、これが守られなかったことを、ギリシア国民の怠惰とする考えがとくにドイツにはみられが、これは説得的なものではない。金融・為替政策という政策手段がとれないギリシアが経済の舵取りをできるのは唯一財政だからである。競争力をなくし悪化する経済(優秀な製品はドイツから入ってくる)のもとでは、ギリシア企業の業績績は落ち込み、すると税収も減り、財政も悪化する。こうした悪循環が生じるであろう。
つまり、ギリシアの財政悪化を国民の怠惰に帰するのは経済論的にみて説得的なものではなく、実際は、ユーロ圏内での経済的不均衡(ドイツとギリシア)が現在のユーロ危機を引き起こす大きな原因になっているのである。域内間でのインバランスは、労働の生産性、技術力といった格差によって生じてきている。この問題を解決できないかぎり、ユーロ危機は解決できない。それはベイルアウトと超緊縮財政の強制で解決できる問題ではない。
一番の問題は、これら諸国に経済を立て直す政策手段が欠落していることである。金融政策、外為政策はECBに委譲してしまっている(これが統一通貨ユーロを使っている意味でもある)。財政政策は超緊縮財政というデフレ政策をとっている。経済はデフレ・スパイラルに入り込んだままである。EU/IMFが行ってきていることは、ベイルアウトとその交換条件としての超緊縮予算の執拗な要求のみである。つまりEUとしてメンバー国経済の内需を刺激させる手段の提示がない。

2.政策的問題

既述のように、EMU首脳はユーロ危機に直面して矢継ぎ早に対策を打ち出した。そのなかには今後の制度的枠組みも含まれている。しかし、ユーロ圏の今後は非常に不安定であって、これで問題が解決できるわけではない。

Advertisements

これまでに合意されたのは、ギリシア救済、ならびに「安定化基金」の創設である。さらには「安定・成長協定」遵守の厳格化への動きがみられる。それにドイツの場合、投機行為にたいする禁止的政策(その後、メルケル首相=サルコジ大統領による共同書簡を経て、EU全体で取り組む問題になった)が続く。

だがこれらはいずれも、金融システムを健全化させるための予防的性格のものであって、EUの実体経済を立て直すことに関しては、何の対策も講じられてはいない。ユーロ・システムの防衛のみが問題視されているが、実体経済の窮状を解決することなくしては、ユーロ問題の根本的な解決は望めないのである。

2000年代前半、EU経済ではドイツ・フランスの大銀行がもてる貯蓄をギリシアやスペインなどに膨大な額貸し付けた。つまり、借りた国民が悪いというのであれば、貸した銀行はもっと悪いのである。現在、ギリシア政府は3200億ユーロという膨大な債務を抱えている。そしてトロイカは、2400億ユーロを救援資金として貸し付けてきた。ところがこの90%は、ドイツ、フランスの銀行に流れ、わずか10%しかギリシアには流れていない。これが意味することは、ドイツ、フランスの銀行は不良債権をトロイカに肩代わりしてもらうことで救済され(ジャンクと化したギリシア国債を買い取るということ)、いま問題は、貸主トロイカと借り手ギリシア政府という構図に変わっているということである。そしてトロイカは、貸した金と交換条件にギリシアの、いわゆる「構造改革」を迫り続けてきたし、いまに至ってもそうなのである。そしてトロイカはいまでも、さらなる超緊縮財政を「命令」している。
資産家はとっくの昔に資産をロンドンやフランクフルト、そしてスイスの銀行に預けている(「ラガルド・リスト」を想起されたい)。
そして残されたギリシア国民にたいしては、苛酷な増税と、年金カット、リストラである。その結果、26%の失業率、若者の失業率は60%、GDPは危機前の7割などなど。しかもその結果、ギリシアの債務は減るどころか増え続けてしまっている。
こうした状況下で支配政党(40年間、二大政党が支配してきた)に絶望する人が多数出るのは自然である。そこにシリザが、きわめて希望的な政策を公約するものだから、そしてツィプラスの魅力もあり、人々はすがる思いで一縷の望みをシリザに託したのである。

「ベイルアウト+超緊縮政策の命令」がこれまでEU首脳がとってきたスタンスであり、いまもそれを貫徹しようとしている。その結果、昨年まではユーロ・システムは危機を脱していたかのように受け止められていた。しかし、そうではなく、それは政治的な極度の不安定さを助長することになった点を無視した見方であろう。昨年5月の欧州議会選挙で、驚くほどの数の極右政党からの当選が生じたのがそれを象徴している。トロイカ政策は、一時的なユーロ・システムの安定のために、極度の政治的不安定さを増大させてしまったのである。
 このことが爆発して実現したのがシリザ党の勝利である。本来であれば、極左のこの政党が政権を取るということ自体、あり得ない話である。これは、つまるところ、既成政党やトロイカが、ギリシア国民をそういう選択に追いやったということなのである。

債権者にIMFという部外者を当初から巻き込んでユーロ・システムを防衛するというやり方が、当初から異常であった。EU首脳が、メンバー国内での協議で方針を決めるのではなく、部外者を最初から債権者の1人として迎え入れるというのは本末転倒である。補助的な協力者として依頼するのではなく、IMFは債務者の行動を査察し、多くの注文をつける当事者として存在しているのである。これではユーロ・システムの独立性に当初からユーロ首脳に自信がなかったことを証明しているようなものである。
債権者はEC, ECB, IMF (トロイカ)である。ECはいわゆるブリュッセル官僚であり、現在のトップはユンケル(ルクセンブルグ元首相)である。背後にはドイツだけが突出しており、メンバー国代表の地位は、フランスを含めて低い。 こうしたEU、ユーロ圏の異常な状態、内部の危機を内部で団結して処理できず、最初からIMFに頼っているというガバナンス問題を抱えている。

3.現在の経済状況

ユーロ圏のメンバー国は、その多くが不況に苦しんできている。ポルトガルやギリシアの場合、これといった産業がない。一時、ドイツ、フランスから安い労働力を求めて多くの工場が建てられたが、それらはすでにもっと賃金の安い新しいメンバー国に移動してしまっており、経済の発展はおろか回復のメドすら立っていない。スペインは不動産バブルの崩壊で、ひどい状況に陥っている。

ドイツは最大の経済大国であるが、依然として輸出主導型であるうえに貯蓄志向が強い。このことが他のユーロ・メンバー国の輸出への道を閉ざし、需要の拡大を停滞させ、経済の停滞に輪をかけている(メンバー国は為替レートの調整で事態を改善することができない)。

ドイツは、単独でいるよりもユーロ・システムのおかげで、為替レートを割安にできており、他方、ギリシアなどは割高になっている。おまけにドイツでは貯蓄が過剰であり、それがギリシアなどに融資され、ドイツの輸出拡大、ギリシアなどの輸入拡大につながっている。

こうしたユーロ内部における経済のファンダメンタルズに目をつぶり、超緊縮財政を守れ、守れないと金は貸さない、といってみても、ない袖は振れない。困窮した国は、「やれるものならやってみろ、お前らも破産するぞ」と開き直るかもしれない。
ユーロ・メンバーは金融政策、外為政策をECBに譲り、そしていま不況に対処する唯一の方策である財政政策にも大きな足かせがはめられている。メンバー国には景気対策の手段がまるでないのである。そして、規律が守れないならもう貸さないと締め付けられる。こうした屈辱にこれらのメンバー国の国民は、はたしてどこまで耐えられるのであろうか。

財政の悪化は、「だらしのない」使い方にすべての責を押し付けられる性質の問題ではない。国債の発行は内需の拡大に貢献しているのである。もし国債の発行がなければ、内需の減少はもっとひどいことになっていたであろう。財政の建て直しが金科玉条のように述べられる傾向がみられるが、財政再建は超緊縮財政的努力で解決できるものではない。経済活動自体の復活がみられないかぎり難しい問題である。

現在、メンバー国(そうではないイギリスも含め)では、超緊縮財政の大合唱状態である。だからEU経済には一層厳しいデフレが控えている。緊縮にすれば家計ならば改善されるが、国は異なる。マンデビルの、厳格な蜂社会では社会はさびれる一方になる。

4. 政治的問題

4.1 目標の喪失

EUはメンバー数を異常に増大させたこと自体が失敗であった。クロアチアまでが加わって、現在28カ国が加盟しているわけだが、そこにはかつてのドイツとフランスの確執を払拭するべくヨーロッパの統一を目指したときのスピリット(シューマン・スピリットというべきもの)から大きく逸脱してしまっている。ポーランド、ハンガリーなどの共産主義圏、ラトビアなどのバルト3国を加えたのは、東欧圏の資本主義化への熱望に応じるということもあっただろうが、それ以上に経済的大国主義意識が濃厚であったと思われる。大きな市場を取り込むという意識の方が強く、かつての統合スピリットから大きく逸脱していったと思われる。その典型はNATOへのこれらの国の加盟を推し進めた点にもあらわれている。

拡大につぐ拡大はEUの世界における権威を高めるとの期待と打算とのもとに開始されたが、その統合化はそもそも非常に中途半端なものであった。統一通貨ユーロを生み出すも財政的問題の統合はできずにきてしまっている。そして図体は大きくなっていったが、それとともに足腰は弱った巨人となりつつある。図体が大きくとも、政治的・軍事的にバラバラなままであるから、かえって意思統一は取りづらい状況下におかれている。
 そして政治的にはEUはかつての共同体精神を喪失しつつあるという危機がある。ドイツはできることならPIGSを切り離したいと思っているかもしれない。しかしそれは難しい。これらの国がデフォルトすれば、ドイツ・フランスなどの大銀行は直ちに危機に追い込まれる。これらの国の国債、そして民間経済に莫大な資金を貸し付けているのは、ほかならぬドイツ・フランス(そしてイギリス)の大銀行なのである。借り手が倒れれば貸し手も倒れる。コンテイジョン (contagion) が一挙に広がることになる。

ベテランのEUアナリストは、こうした事態に陥っているEUを、かつての統合化を目指して熱意をもってことに当たっていた指導者世代が終わり、いまのEUには理念なきナショナリズムが蔓延しており、EUは解体への道を歩んでいると論じている。それもユーロ懐疑派ではなく、ユーロ派の代表的論客がそのことを論じる事態になっている。

逆に、この危機をチャンスととらえる人もいる。つまり、財政的な統合化、政治的な統合化への道をとるべき機会だというのである。しかし、そのような情勢の到来はほとんど絶望的である。統合の中心たるドイツそのものが、いまは自国中心の政策を邁進している有様なのである。

4.2極右の台頭;政治的・社会的不安定化

トロイカによる超緊縮政策の「命令」により、気が付いてみると、極左や極右政党が非常に大きな政治勢力となるに至っている。極右の場合、それは反イスラム、そして反ユダヤを大きな政策的特徴としているから、EUは社会的・政治的に非常に不安定な状況に陥っている。

この原因の少なからざる部分は、トロイカの政策の帰結である。金融システムを守るためにドイツ・フランスの銀行を救済し、代わってメンバー国国民に悲惨な経済状態をもたらす増税、年金カット、失業を提供し続けて6年。社会がその結果、こうした状況に陥ったのである。
メンバー国の支配政党が自国民の経済的苦境の回復どころか、さらに窮地に追い込む政策をとり続けてきたことが、考えられないような政治状況を創り出すことになった。自分たちの声を聞いてくれるグループに惹かれるのは当然のことで、支配階級が自国民を窮地に追いやる続けたことのツケである。 

ヨーロッパの政治思想・運動をみるとき、とりわけ顕著なのが右派、それも極右と呼ばれる政治思想の急速な台頭である。冷戦体制が90年代の初めに終焉を迎え、グローバリゼーションと、アメリカ一国が覇権国家となるなか、ネオ・リベラリズムが勢いを増していった。ネオ・リベラリズムは本来的には自由主義思想であり、個人の自由を最重視するものであり「極右」ではない。
90年代初め、ソ連が崩壊して生じた大きな動きに民族紛争がある。典型的な事例は、ユーゴスラヴィアの解体に伴う、バルカン諸国の独立が民族主義の台頭により、「民族のるつぼ」の地として知られる地域を震撼させることになった。
こうした民族主義の動きが、リーマン・ショック後のEU圏内をも襲うことになったのは皮肉な現象である。ヨーロッパの経済協力から始まった運動は、経済統合(財政統合)から政治統合への道を希求していたからである。 

このことを引き起こした大きな原因として考えられるのが、ユーロ危機およびそれによってとられたトロイカによる「ベイルアウトと超緊縮政策」の組み合わせ政策である。この政策はユーロ・システムを死守することだけを至上命題とするものであり、そのために諸国民は窮乏化を強制されることになった。この結果、失業者が急増し、社会不安が激化していったのだが、その受け手は、かつてのように左派ではなかった。左派は冷戦の崩壊で求心力を喪失しており、また中道左派もネオ・リベラリズムの攻勢のまえに力を喪失したからである。

そうした、いわば政治的空白を埋めることになったのが、「極右」と呼ばれる政治勢力である。ほとんど無視されていた叫び声であったのが、上記の政治・経済情勢が高まるなかで、急速な力をもつことになった。とりわけそれを象徴するのが、2014年5月の欧州議会選挙での大躍進であった。そのなかには政権につくほどの地位にまで昇り詰めている政党もある(フランスのナショナル・フロントはその代表事例)。 

「極右」政党の特徴は、きわめて民族主義的である。フランスならば、白人のフランス人を最優先、イギリスならば、白人のイギリス人を最優先するという考えである。その裏返しとして、反移民を唱えることも特徴である。とりわけイスラム系移民をやり玉にあげ、西欧のイスラム化を批判している。これはドイツのAfD党などでも然りである。 

さらに「極右」の中には「ネオ・ナチ」と呼ばれる要素が色濃く混じっている政党も見受けられる。ヒトラーを崇拝するという意味であり、こうした動き
がヒトラーをタブー視してきたドイツにおいてすら見受けられるようになっているというのがヨーロッパの現状である。 

それに「極右」政党は、反EUであり、反ユーロである。 メルケルが唱えてきたような「政治的統合」は、メンバー国の足元で大きく崩れ落ちようとしている。 

ヨーロッパが今後、どうなるかは、きわめて深刻な問題なのであるが、いまのところ、それらに対し、ストップをかけるような動きはまったくといっていいほど見られない。