万能薬を売る

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祭りで賑わう神社の境内の片隅に、老人と少女の二人連れが開いている行商の店があった。どちらも木綿絣の粗末な着物を纏い、およそ人目を惹くような存在ではない。老人は白く長い顎鬚を蓄え、人を射竦めるような炯眼にて、辺りを見渡すと、重々しく口を開いて、口上を述べ始めた。
「さぁさ、御用とお急ぎでない方は、しばし聞いて参られよ」
老人の背後に掲げられている幟に「万霊之妙薬」と大書されているところからも、薬売りの類と推察されるところ。果たして老人は、懐中に手を伸ばすや、白磁の壷を手に取り、後を続けた。

「これなるは霊峰覇願の麓に棲息すると伝えし四足の金蛇から、百と八の月日を費やして抽出しせり万霊の妙薬。如何なる刀傷もたちどころに快癒し、その痕跡すら掻き消す天下に二つとない代物。本来であればその様な妙薬、秘蔵して然るべきところ。こうして他人に披露するは、己が腸を引き裂かれる苦しみと等しくあれども、霞のみを喰らって生き永ら得ぬ事もまた道理。故にこうして譲り渡す決意をするに至った次第。さぁさ皆様、此の機を逃せば、それこそ子々孫々、末代までの悔恨!慙愧に涙を流すも時既に遅く、ただ悲嘆に呉れるばかりとなりましょうぞ!目先の小利を貪るは、小人の為せる業。まさに愚の骨頂。この場にお集まりのお歴々におかれましては、斯様な注進なぞ要らぬ気遣いと存じますが、迅速なる御英断を賜りたく老婆心ながら申し上げる。どなたか、我こそはと思しき御仁がおられましたら、即座に名乗りを上げて頂きたい!」

老人と少女という不釣合いな組み合わせに、その頃には既に大勢の見物客が辺りを取り囲んでいた。しかし、皆それぞれが興味深そうな顔付きをしながらも、ただ遠巻きにして眺めているばかりで、誰一人として率先してその薬を買おうと名乗りを上げるものはいなかった。それも無理からぬ事だろう。幾ら口先で美辞麗句を並べ立てようとも、その効果については何ら明らかにされていないのだから。
すると、集まった大勢の見物客を見渡し、老人が重々しくこう口を開く。
「これ程までに申し上げても誰一人として申し出るお方がおられぬは、我が言葉をお疑いの事と推察される。ならば、その目でとくとこの妙薬の効能を御覧頂こう」

そう言うと老人は、傍らの少女の方へと視線をやった。見物客もそれに釣られて少女の方を見やると、その左手には、いつの間にか長さ三尺余りの長刀が握られていた。少女は長刀を目の高さにまで持ち上げ、右手でしっかりと柄を持ち直す。と同時に、それまで鞘を支えていた左手を離すや、長刀は銀鈴を思わせる響きを立てて鞘走りし、見事に研ぎ澄まされた刀身を見物客の目の前に露わにした。その刀身からは、酷暑の最中にあって尚失われる事を知らぬかの様な寒気が湛えられており、雪融けの清水で今しがた洗い流したばかりの様な湿り気を微かに帯びていた。何れ名のある刀匠の手による業物かもしれないが、見る者の心に言い知れぬ不安と抗い難い魅力を与えるのは、邪なる魔力でも秘められているようだ。

そんな事には構わず、少女は気合一閃と共に、その長刀を振りかざして空を切り裂いた。

「一枚が二枚」

やおら発せられるその言葉が終わらぬ間に、少女の目の前に立っていた町人風の男の影が、真っ二つに切り裂かれる。

「二枚が四枚、四枚が八枚、八枚が十六枚、十六枚が三十二枚・・・・・・・・」

少女が一振り太刀を振るうたび、周りの見物客の影は本人の知らぬ間にみるみる切り裂かれていく。しかし、その異変に気付いた者は誰一人おらず、皆がただ呆然となって、少女の剣舞に見惚れていた。その一角だけが別世界で囲われたかの様に、辺りは静寂に包まれ、少女が振るう長刀が空を裂いて鳴く音だけが怪しく響き渡る。そして、言い知れぬ寒気がその場を支配していた。

そして,それまではただ黙しているだけの老人が、少女の剣舞に呼応するかのように奇妙な歌を口にし始めるのだった。

    花が咲くのは己が為で 死屍を弔う積もりもないが
    色に惑うて狂うた所以は 目に艶やかなその姿
    それが仇なし手折られちゃ 欠けたところで涙も出ぬが
    散り逝く様を愛でられりゃ 血の紅色で頬染める
    何と無残な話でないか 花に咎なぞ無いではないか

    鳥が鳴くのは己が為で 不吉を予見する気もないが
    名に惑うて狂うた所以は 耳に囁くその響き
    それが仇なし撃たれれば 声を嗄らせど血は流れぬが
    無残に尾を引くその様で 闇に紛れて身を隠す
    何と無残な話でないか 鳥に咎なぞ無いではないか

    風が吹くのは己が為で 不幸を運ぶ積もりもないが

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    金に惑うて狂うた所以は 鼻に馴染んだその匂い
    それが仇なし憑かれれば 足りぬところで身は滅びぬが
    一度この身に抱えたら 二度とその手を緩めれぬ
    何と無残な話でないか 風に咎なぞ無いではないか

    月が欠けるは己が為で 闇夜を生み出す為でもないが
    酒に惑うて狂うた所以は 口に含みしその味わい
    それが仇なし杯を重ねりゃ 明けの鴉が嘆けども
    再び醒める事も適わず 終には満ちる事も無し
    何と無残な話でないか 月に咎なぞ無いではないか


見物客を囲む寒気は更に高まり、それに混じって今度は、一種独特の香りが立ち込め始める。少女は重ねて何度も長刀を振るい続ける。最早、その手元を見定める事すら難しい程に、その速度は激しさを増していた。

老人が歌を語り終えると、少女は長刀を自らの首筋に押し当て、何らの迷いもなくその刃を振り上げた。一瞬の静寂の後、椿の花が落ちる様にして少女の頭部は地面へと転がり落ち、未だ長刀を握り締めたままの体も、支えるべき主を失って静かに崩れ落ちていった。

老人は慌てる風でもなく、少女の元に駆け寄ると、自らが手にした霊薬を使って、失われた頭部を繋ぎ合わせた。突然の成り行きに、叫び声を上げることも忘れ、固唾を呑んで見守るだけの見物客の目の前で、少女は再び元の姿へと戻り、大きく長刀を一振りすると、地面に転がっている鞘の中へとそれを収めた。

「如何かな、確とその目で御覧頂いた霊薬の効能は。然るに千載一遇の機は既に過ぎ去り、全ては春夢と共に消え行くは明白。慙愧の涙は彼岸にて流されるが良かろう」

風に浚われて舞い散る真紅の欠片が、老人と少女の周りを漂い始め、全身を真っ赤に染まった見物客が、もはや物言うことも出来ずに、次々と崩れ落ちていく光景がそこに残されたのであった。

「一人取り逃がしたか・・・。まあ良い。いずれ再び、向こうから接触してくるだろうて」

老人は地面に残された一枚の狐面を手に取ると、少女に向けて放り投げた。狐面は少女の目の前で真っ二つに割れ、乾いた音を立てて再び地面へと落下するのだったが、その時既に、あの二人連れは、何処かへと姿を晦ました後だった。